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たなべりょうへいの言葉

ブログ

Vol.234「掌」


赤ちゃんが大好きで・産婦人科の医師になった。

 

だから・未熟児センターでの勤務を希望した。

 

正直・過酷な労働。

お昼ご飯は・夜の10時。

晩ご飯を・深夜3~4時に食べる日々も

決して珍しくはなかった。

 

深夜に仕事が終わり・帰宅すると起きれないと

思い・病院によく寝泊りした。

 

仮眠は・椅子を並べて横になった。

当直の際は・一睡も出来ない事も多かった。

 

でも・不思議と辛くはなかった。

同僚もいたし・大きな志があった。

 

慢性の睡眠不足。

 

それでも夜中に・スタッフと飲み明かし

空が白んで帰宅した。

 

しかし・助けられなかった・小さな生命がある。

 

一生懸命頑張っても・元気に退院

出来なかった赤ちゃんがいた。

 

「助ける・・助けた・・」

 

それが・驕りだと悟った。

 

共に頑張る・手助けをする・見守る・・。

 

赤ちゃんは・赤ちゃん自身の生命力で

幾多の壁を乗り越えて行く。

 

そう・・小さな生命に教えて貰った。

 

命は・尊い。

 

拳に乗る程の小さな小さな赤ちゃんが

私に大きな大きな大切な事を示してくれた。

 

天国に逝っていしまった赤ちゃんに

ご恩返しは出来ない。

 

だから・生まれ来る生命に

少しずつでも恩返ししたい。

 

大好きな赤ちゃんに

いっぱいいっぱい学んだ。

 

Vol.233「Happy Wedding」


スタッフ二人が・結婚式を挙げた。

 

結婚式は・何度出席しても・嬉しいし

感動して涙が溢れる。

 

「今日は・泣かんぞ~!」と・こころ決めても

やっぱり新郎新婦入場からウルウルしちゃう。

 

式の数ヵ月前・院長室をノックする声。

 

「おめでと~う!」

『院長・挨拶をお願いします』

「もちろん!喜んで!」

 

スタッフの結婚式には・新婦側の

来賓として出席する事が多い。

 

必然的に・祝辞を述べる機会がある。

 

雛壇に座り・微笑む横顔。

 

私なりの想いが・駆け巡る。

 

「餞の言葉は・御座いません」

「何故なら・彼女ならきっと幸せに

なるはずですから・・」

 

面接の時の緊張していた姿。

素敵な笑顔。

元気な挨拶。

 

人としての・彼女らの成長を

傍らで感じて来た。

 

妻となり・母となる。

 

一期一会。

 

おめでとう。

おめでとう。

 

こころからおめでとう。

 

Vol.232「1リットルの涙」


脊髄小脳変性症。

 

現代医学では・完治が困難な難病。

 

その病と闘い続けた一人の女性。

 

中学時代。

進学と共に・減退する体力。

病魔が・着実に・刻々と・静かに進行。

 

苦難の選択だった・養護学校への転校。

 

十八歳。

自力で・生活が送れなくなる。

 

発病前から・彼女は・日記を綴っていた。

二十一歳。

ペンを執れなくなる・その日まで・綴り続けた。

 

五十冊に及ぶ・彼女の生きた証が残されている。

 

幾多の苦難を乗り越え

乗り越える度に・流した涙。

 

1リットルの涙が

彼女のあらゆる決断を後押しした。

 

最後の日記。

そこには・感謝の言葉が添えられている。

 

二十五歳。

その生涯を閉じる。

 

難病との闘いの日々。

素直な・彼女の文章には

生への限りなき賛歌ががある。

 

Vol.231「無形文化財」


11月2~4日の3日間

唐津神社の秋祭り

「唐津くんち」が開催された。

 

16世紀の終わりに始まったと伝えられる

「唐津くんち」。

 

高さ7メートル・重さ2トンから5トンの

重量がある・14台の曳山。

 

この14台の曳山を・揃いの法被を纏った

数百人の若者たちが・威勢を良く市内を

曳き回すさまは・まさに圧巻・現代の絵巻物。

 

くんち期間中の人出は・50万人を超える。

 

唐津くんちは・昭和33年に

佐賀県重要有形民俗文化財に指定。

更には・昭和55年に

国の重要無形民俗文化財に指定された。

 

重要無形民俗文化財に指定された事は

とても意義がある。

 

「無形文化財」とは・曳山を曳く人々も

14台の曳山と共に・重要な文化財であると

認識されたのである。

 

親が子に・子が孫に。

幾世代も・受け継がれて来た。

 

21世紀。

 

伝統文化には・時代や人が変わっても

普遍な価値観が存在している。

 

私の故郷・唐津では

こころのリレーが・伝承されている。