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たなべりょうへいの言葉

ブログ

Vol.247「母子像」


たなべクリニックのベビー室には

一枚の絵が飾られている。

 

小磯良平作 「母子像」

 

明治36年(1903年)・神戸市生まれ。

洋館が立ち並ぶ街で・自然と西洋的な空気を

吸って・幼年期を送った小磯良平。

 

その画風は・女性像を中心としながら

西洋絵画の伝統の中に

モダンな感覚と気品が溢れている。

 

青年時代・フランス名画に感動し・画家の志を

強めた彼は・その後フランスに留学。

 

ヨーロッパを2年間遊学した彼は

絵画技法習得よりも・各地の美術館を巡り

巨匠達の作品を熱心に鑑賞した。

時に・劇場で踊り子たちの舞う姿を楽しみ

クラシックの音色に耳を傾けた。

 

帰国後・小磯は・精力的に絵筆を揮う。

 

独自の画境を開き・日本の洋画界に

大きく貢献した。

 

彼の作品をとても気に入っていた父が

私に「良平」と命名した。

 

彼の素晴らしさは

父から子へ受け継がれた。

 

  「母子像」

 

私のお気に入りの作品である。

 

Vol.246「だって・・」


赤ちゃんがお母さんに逢いにやって来る。

 

赤ちゃんが「逢いにくる日」を決める。

 

赤ちゃん自身が「赤ちゃんペースで」

狭い産道をお母さんに守られながら

勇気をもって突き進む。

 

ゆっくり・ゆっくり・・。

 

狭くて暗い産道を通って来るだけでも

大変なのにその上に・痛い思いまでして

やって来る。

 

「どうして!?なぜ?!?

そんな大変な思いまでして・・!?!」

 

   だって・・・。

 

世界で一番大好きで・一番信頼していて

一番逢いたいお母さんに・・。

 

どうしても・どうしても逢いたいから・・。

 

いっぱい・いっぱい

抱きしめて欲しいから・・。

 

Vol.245「誰も知らない日本人」


台湾にて・中国語圏の映画として

史上最高の興行収入。

 

そのヒロインを演じているのは

日本では無名の日本人女性である。

 

日本では・著名なマイクアップアーチストの

父を待つ彼女。

日本での芸能活動は

親の七光りに過ぎなかった。

 

ある時・台湾映画に出演する機会を得る。

 

彼女の父を知る人などいない。

周囲の人々は・彼女自身を評価する。

 

人生での大きな決意。

単身・台湾へ。

中国語を徹底的に勉強。

現地では・日本人の友人を作らず・懸命に努力。

 

苦難の日々。

 

自身のブログのみに本音を・中国語で語る。

 

そんな折・彼女のブログが

地元の映画監督の目に留まる。

 

売れない日本人モデル・台湾男性との悲恋を

見事に演じた彼女。

 

大きな存在であった父から

離れたくて・飛び出した日本。

 

大きな父の娘としてではなく

自分自身を評価して欲しくて

飛び込んだ異国の地。

 

「父がいたから・今の私がある」と彼女は語る。

 

諦めない・・。

思い続ければ・夢は・必ず叶う。

 

Vol.244「礼拝」


昨年・突然知人が天国に召された。

 

絶句・・。

 

訃報に・耳に疑い・言葉を失う。

 

多くの人々に愛され・慕われ

才能豊かな魂は・余りにも突然に

何も告げずに・遠く遠くに飛び立った。

 

若くして終止符が打たれた彼の人生に

「その日」が来る事を・・。

 

彼自身が・・

家族が・・。

神様は・・ご存知であったのだろうか・・。

 

あなたがこころより愛した人々は

あなたをこころより愛した人々は

 

空・気高く・想う。

ずっと・ずっと・・。